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施肥・補足説明
○なぜ、養分が必要なのか?
 肥料分を与えると木が茂ってしまう!そうお思いですか?

 では、肥料をやらなければ木は伸びませんか?成長するのです、水だけで(土に含まれる微量の養分を吸って)。結局、伸びた分をあなたは切るでしょう?

 どうせ切って捨てるなら肥料をやっただけ損だと単純にそう思う方は木を植えないほうがいいでしょう。庭木はペットと同じです。飼うからにはそれなりの責任を持ち面倒を見なければなりません。確かに水だけで育ちます。人間だって数日間なら水だけで生きられます。でも水だけで生きている人間が病気になったらどうしますか?免疫力もない、体力もない、そんな状態で生き続けられますか?

 人間は最悪の場合医者に行けば何とか生き長らえることができますが、植物は医者に行けません。弱った体で一生懸命水を吸い、やっと伸ばした枝葉を人間が切ってしまう・・・。

 肝臓は”沈黙の臓器”と言われます。生物の体内でギリギリのところまで文句も言わず頑張って「もうだめだ!」という時に初めて異常がわかるというアレです。植物は生物界の”肝臓”だと私は思います。生物といっても動物と植物の違いはいろいろありますが、施肥の件に関して言えば植物には免疫力というものがないということです。施肥の必要性を語るとき便宜上「植物の免疫力を高め・・・」などと説明したりもしますが、それはわかりやすくするためです。植物にとっての大敵は「腐朽菌」です(人間で言えば「破傷風」のようなものです)。動物が傷を負った場合、白血球やら血清やらが、ばい菌をやっつけたりして直しますが、植物にはそういったシステムがありません。私は学者ではないので詳しいことは語れませんが、一言で言えば植物は傷を受け入れてしまうのです。体の中に壁を作ってそこから先はばい菌が入って来れないようにするだけなのです。人間で言えば指を切ったとするとその指が化膿していくのをほっといて手首のあたりに壁を作って腕がなくなってしまうのを防ぎとめるようなものです。指の傷は直せません。肥料をやる根本的な目的はその”壁”を作る力を養うためです。端的に言えば「枝を切っても大丈夫なように」やるわけです。体力のない木は壁を作ることができず「腐朽菌」をひじまであるいは肩まであるいはそれ以上受け入れてしまい長い沈黙の後枯れていくのです。

 少なくとも庭木は切られることを前提として庭に存在しています。植木屋もそれを生業として成り立っているわけですし、都会の中で木が好きなだけ伸びるという自由はもともと無く、逆に剪定や刈込みによって人工的に作り出される情景をめでる感覚が我々特に日本人にはあるのですから、いたし方の無いことです。私の立場から言えば「切らしてもらうのだから少しでもそれによる木のダメージを軽くして来年も切らしてもらいたい」わけです。木を痛めるから切らないなんて言ってたら商売になりませんから。それに木の為にも切ったほうが良い場合なども本当にあったりするのです。壁を作る力と新たに枝葉を萌芽させる力だけは植木屋としても飼い主としても責任を持たなければならないと思うのです。 ですから施肥の作業は利益がでないとか面倒だとか言わずに予算が無くても手を抜かずやります。木への恩返しの気持ちをこめて。

 花を咲かす為や実をならすためにやるんじゃないのかって?まぁ、そういうことにしておいたほうが誰にでもわかりやすいし(壁の為ですなんて言っても普通聞いてもらえませんから)、そういうことのためならお金をかけて施肥をやってくれるでしょうからあえて否定はしませんけど、このコーナーだからひとこと言わせてもらえばそれらは二の次なんです。花や実の為に肥料をやる必要が無いと言っているわけではありません。理屈をこねるならば正確には花を咲かせるためではなくて、花を咲かせてもそのあと木が疲れないために(実も)これらの肥料はやるわけです。

 前述の施肥の必要性というのはあくまでも植物が生きる為の最低限の養分ということで、花や実のための肥料というのはいわば付録のようなものです。人間のエゴを満たす為の。普段は庭木に目もくれない人が近所で何かの花が咲き出すと「うちの○○はちっとも咲かない。」と、まるでこの木が悪いと言わんばかりなので「じゃあ肥料はやってますか?ペットと同じなんですからちゃんとエサぐらいあげなきゃ花も咲かせられませんよ。」と私は答えることにしています。この手の話としてもうひとつよくあるのは「今年はいままでで一番たくさん花が咲いた(実がなった)」と大喜びしている方です。ご存知の方も多いと思いますが、木がたくさん花を咲かせるのは”危険信号”です。自分が枯れそうだから子孫を残そうとしてたくさん実をつけ種を落とそうとしているのですから。その時になってあわてて肥料をやっても手遅れの場合が多いのです。瀕死の状態の人に「さあ食え」とステーキを食べさせようとしているのと同じです。”転ばぬ先の杖”で施肥が必要なのです。少なくとも木と長くつきあっていこうと思うのならば。そして植木屋を食わしてやろうと思ってくださるならば。


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