2002/05/12 | |
Subject: 同業者です 投稿者:悪樹 投稿日:2003/11/15(Sat) 18:17 No.258 >はじめまして、HP拝見いたしました。 >わたしは、この5月に植木屋として独立した32才です。 >いきなりご相談も図々しいのですが、お願いします。 >もうすぐ、手入れのお客様も90件になろうとしています。 >独りでやるには限界がきて、人を雇い手伝ってもらうか、これ以上 >仕事を増やさず、このまま独りでやっていこうか迷っています。 >木下さまは、独立されどのような経緯で従業員を雇われて、現在に >いたっているのでしょうか。 >人を雇うということは、当然責任もありますし、1月から4月くらいの >暇な時期が困るなどが予想されます。 >もしよろしければ、アドバイスいただけると有難いです。 | |
以下 私(木下)の回答 | |
それは独立した者が皆ぶつかる壁ですね。 「そんなことは独立する前にちゃんと考えて、、、」と言いたいところですが 私の場合も準備万端で開業したわけではないので、状況の変化に合わせて対応せざるを得なかったのです。 従業員から独立の申し出があったときは、この件についてはあらかじめ考えておくようにと助言しています。 5月に独立してすでに90件の顧客とはすばらしいですね。 私の場合は1、2年目は一人で何とかやっていましたが、3年目に壁がきて あまり深く考えずにタウン誌で求人して一人雇いました。 掃除だけやってくれれば助かると思ったのですが考えが甘かった。 自分が二人になるわけではないから思うようにはかどるわけはないし、 思い通りの仕上がりは望めるはずもない。 2人工掛けていると思うとそいつの分まで自分が稼ぎ出さねばならず 楽になるどころか負担は増すばかり。 若い頃は自分自身が動けるからなおさら、できない従業員に腹が立つ。 人の使い方も下手だから(それは今でも、、、)八つ当たりしてばかり、、、。 見積もりだ、ゴミ捨てだ、材料の仕入れだ と現場を離れなければならない状況が増える。 しかし従業員に任せておくには不安だ。お客さんだって不安に違いない。 大変なストレスになります。 楽をしたいから独立する なんて人はいないと思う。 バリバリ働きたい、自分の納得のいく仕事をしたい、そういう人が独立するのでしょう。 だから仕事が舞い込めば調子に乗ってどんどん請けてしまうのが普通です。 毎日のスケジュールが埋まっていくと嬉しい。 自分はバリバリできる、それが結構くせ者で バリバリ動かない従業員を見るとイライラする。 使われてる身にすれば「何を一人でイライラしてんの?」ということになる。 当然だ、働く目的が両者で違うのだ。かみ合わない。 「自分でやったほうがよっぽどいいや」と若い親方はさじを投げる、 「やってられるか」と従業員はケツをまくる。 開業が1986(S61)年4月でした。 S61〜S62はずっと一人でやっていましたがS63(1988)の2月に初めて求人を出して すぐ人が入りましたが1ヶ月半で辞めてしまいました。 先ほどの話のような状態でしたから耐えられなかったのだと思います。 しばらく一人に戻りましたが、やはり仕事がこなしきれずに8月に求人して 一人雇い入れました。 入ってきたのはマグロ漁船に何年も乗っていた頑強な男で、 体力もあり性格もよかったのですが、船に乗っていたときの4分の一の給料で しかも別の意味で仕事もきつかったのでしょう、半年くらいで辞めていきました。 この二人に関して言えば、続かなかった理由はまさしく私に在ったと思います。 手伝わせるという感覚では駄目なんだ 共に働く仲間として人を雇わなければこの先やっていけないと 私は二人の犠牲によって学習したのです。 自分がバリバリとやりたいようにやっていくなら自分一人でやっていけばいい、 八つ当たりして他人(従業員)に迷惑を掛けるのは筋違いなのです。 「自分一人が一番気楽」とかたくなに一人親方を貫く人もいます。 確かにそれは職人皆が思っている理想に違いない。 だけどそれを貫くことも実はとても強い意志と固い決意が必要で、 私なぞは”え〜かっこしぃ〜の八方美人”だから 来た仕事は断われない、仕事が少ないと安心できない、軽くOKと言ってしまう。 一人親方を貫ける人と一人ではやっていけない親方の二種類がある。 まず自分がどっちのタイプの人間か知ることです。 私は後者を選んだ(というか前者は無理!)から「人を使うこと」がもうひとつの仕事になった。 平成元年の4月、開業してから4年目のスタートの日、 知り合いの左官屋さんに一人の若者を紹介してもらって雇い入れた。 彼はいわゆる「走り屋」で車が大好き。 仕事もよくやったが趣味の車への情熱もすごかった。 早朝3時に起床して漬け物の配送のアルバイトをこなしてから出勤してくる。 一日中めいっぱい働いて夜は友達と遊んで、また翌朝は3時から働く。 そんな生活を毎日続けながらも休みの日は峠に出かけて愛車を転がす。 稼いだ金は惜しげもなく車につぎ込みあっけらかんとしていた。 彼以降、私は仕事もノウハウも従業員に教えながら 自分の食い扶持(くいぶち)を自分で稼ぐ力を付けさせることにした。 「手元」ではなく一人前の職人に近づけて共に仕事をこなしていくことを理想とした。 彼は5年勤めた後、独立して植木屋となった。 1993年(H5)に私が椎間板ヘルニアで入院してしまった折、当時抱えていた二人の 従業員の面倒を独立した彼が見てくれたのは今でも恩義に感じている。 その後家業の事情で植木屋を辞めてしまったが、彼の働きぶりのすごさはその後の 従業員の歴史の中でも右に出る者はいない。 独立して4年目のこの時からウチの従業員遍歴が始まったと言える。 4月から二人でやっていたが10月に年配のアルバイトが来た。 その人は長くは続かなかったが、その人の友達が土曜日だけ来るようになった。 サラリーマンをしながらの休日アルバイトである。 この人は現在までずっとウチに関わっている。 定年退職後は社員として活躍し、今年からは独立して外注さんとなり 工事部からの仕事の依頼を受けてやってくれている。 思えば15年も付き合ってくれていることになる。 |