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〜従業員の雇用歴について〜その2


2ページめ
2003/11/20



以下に従業員の出入りを大まかにまとめてみた。( )はアルバイトである。

5年目1990年(H2):I,O,(T)
   Oが入社。ヤクザまがいのことまでしていた筋金入りのワルだったが、
   彼とのつきあいは8年にも及び、その間に彼の顔は穏やかに変わり
   人は見かけでないこと、どんなヤツでもまっとうな人間に生まれ変わること
   学ばされる貴重な体験となった。

   この頃がバブルの終盤だったように記憶している。
   もうあのバブル時代が来ることはないだろう。
   世の中全体が狂っていた。
   見積もりもいらない、領収書もいらない、いくらでもいいからやっちゃってくれ、
   めちゃくちゃな仕事が後から後から舞い込んだ。
   夜ごと飲屋街に繰り出しドンチャン騒ぎ。皆が浮かれていた1987〜90年。
   弊社もおこぼれに預かり売り上げは毎年倍ペースで伸びた。
   この頃が私の生涯の中で肉体的に一番働いた時かもしれない。
   私を含めた3人で年間4000万以上を稼いでいたのだ。

6年目1991年(H3):I,O,Y,(T)
   Yが障害者手帳を携えて入社。私より30も上の年配者だった。
   障害者雇用の優遇措置などについて勉強にはなったが、
   客の庭で小便はするわ、会社のトラックで酒を飲みに行くわでかなり手を焼いた。
   言うことを聞いてくれない、客にデタラメをしゃべりまくる、
   他の従業員ともぶつかることが多く、1年足らずで辞めてもらう結果になった。
   こちらから首を切った形になってしまうため、当然障害者雇用の補助金は
   全額返金させられ痛い目を見た。
   その上、彼はその後ウチの客に営業を掛け顧客を何軒もさらっていった。
   私が年配者を雇いたがらないのはこの経験が大きく作用していることは確かだ。

7年目1992年(H4)〜8年目1993年(H5):I,O,U,(T)
   バブル祭りの後の静けさが不気味に忍び寄ってくる。
   羽振りのよかった会社がだんだん息を潜め、元請けに頼り切っていた零細業者は
   代金の回収もままならずばたばたと倒れていった、、、。
   私はもともと下請け仕事を避けていたお陰で手痛い打撃は受けずに済んだが
   回収できなかったお金も無かったわけではない。

   仕事は目に見えて減ってきた。
   Uは取引先の建材屋を退職した営業マンである。
   私が営業マンを雇ったのは後にも先にもこの時だけである。
   それぐらい仕事が無かった。私はとても焦った。
   住宅のリフォームや家屋の解体まで手を出した。

   頼み込めば値切られる、待っていたら仕事は他の業者に奪われる、苦しい時代だった。
   一日動いても数千円の利益しか得られず従業員の給料もぎりぎりだ。
   Uは精力的に営業してくれたが自分の給料分がどうしても稼ぎ出せない。
   彼が無能なのではない。どうしても仕事がとれない時代だったのだ。
   それは十分わかっていた、でも私にはその状況を持ち堪えることができなかったのだ。

   悔しくて情けなかった。今でも思い出すとこみ上げるものがある。
   Uは辞めていったが、彼の蒔いてくれた営業の種はその後も脈々と受け継がれ
   今ではウチの主要な得意先となり売り上げを支える重要な仕事として生きている。

   営業は長い時間を掛けてじっくり養っていくもの。結果はすぐには出ない。
   本業以外のことに手を出してもロクなことはない、
   仕事がないときは下手にあがかずにじっとしていること。
   この時学んだことの価値は実に高く、払った犠牲はあまりにも大きかった。


   5年勤めたIが9月に独立した。景気の良いときに独立するよりも悪いときの方が先が明るい。
   バイタリティーあふれる彼なら出来ると信じ送り出した。
   その2年後に彼はホンダのNSXという車で私の前に乗り付けた。1400万もする車だ。
   成功したんだな。嬉しかった。

   入れ替わりに10月、Mが1年間という条件(本人の希望)で入社した。
   当社初の女性の起用である。子供はいなかったが私よりちょっと年上の主婦であった。

9年目1994年(H6):O,M,(T)
   ようやく会社が持ち直し掛けた矢先の4月、悪夢は訪れた。
   現場で作業中に私は「椎間板ヘルニア」を突発させてしまったのだ。
   当「能書き」の「15期を迎えて」でも語っているが、
   バブル崩壊どころではないどん底だった。
   精神的にもかなり落ち込んだが、このお陰でこれから先のどんな難関も
   「あの時に比べれば」と立ち向かえるようになったことは確かだ。

   この頃から、いじり始めていたパソコンを本格的に仕事に持ち込み始めた。
   まだMS-DOSの時代だったので効率は悪かったが、顧客管理から始めていったのだ。

   腰痛もコルセットもこの時から”お友達”になってしまったが、
   「生きてるだけでめっけもん!」と自分に言い聞かせてまた走り始めた。
   ここからの人の出入りは実に激しいが、思い出しついでに羅列してみた。
   別人で同じアルファベットには数字を付けた。

   8月 +X,+Z,+(Y),+(G)=O,M,X,Z,(Y),(G),(T)
   10月 -M =O,X,Z,(Y),(G),(T)
     12月 -(Y),-(G)=O,X,Z,(T) 

10年目1995年(H7)

       5月 +U2=O,Z,X,U2,(T)
   6月 +D,+G=O,Z,X,U2,D,G,(T)
   9月 -U2=O,Z,X,D,G,(T)
   12月 -D=O,Z,X,G,(T)

11年目1996年(H8)

   1月 O,Z,X,G 社員旅行でグァムへ行った。楽しい時代だった。
     XはF-1の記者だったのだが仕事に行き詰まってかウチに舞い込んできた。
     わずか1年で造園技能士を習得するほど熱心で器用な男ではあったが、
     1年半足らずで元の仕事に復帰していった。後日雑誌で彼の書いたセナの記事を目にした。

   2月 +I2,+E,+N=O,Z,X,G,I2,N,E,(T)
   3月 -X =O,Z,G,I2,N,E,(T)
   4月 +(S),+M2=O,Z,G,I2,N,E,M2,(T)(S)
   7月 +H =O,Z,G,I2,N,E,M2,H,(T)(S)
   9月 -G,-I2 =O,Z,N,E,M2,H,(T)(S)
   12月 -E =O,Z,N,M2,H,(T)(S)

   従業員の出入りが激しい会社を見ると、眉をひそめる人がいる。
   「そういう会社はきっと何か問題があるに違いない、
   社長が横暴で従業員をいじめているに違いない。」そういう目で人は見る。

   確かにそういう場合もある。
   消耗品のように社員を取り扱う社長も居ることは居る。
   しかしほとんどの経営者は社員を財産のように思っているのだ。
   多くの場合は従業員が自己都合で辞めるのに
   従業員は弱者扱いされ、社長はいつも悪者でやり玉に挙げられる。
   一生懸命気を遣い守ってあげても裏切られる。

     ここからはまた私の愚痴ですが、よければ続きをどうぞ(P3へ続く)


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